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動物園をぐるっと一周するともうお昼を過ぎていた。
「お腹空いたね。何処かで食事しようか」
「ええ、少しお腹空いたわね」
「何処がいいかなあ……」
健介は明子を見つめながらちょっと思案していたが、再び美術館の方に向かって歩き出した。ラーメンぐらいでほとんど外食をしたことのない明子は黙って健介について行くしかなかった。天王寺駅前のホテルのラウンジで飲み干した赤ワインは何時間も動物を見て回った疲れもあってか、明子は心地よい睡魔に襲われうとうとっとした。
「疲れたねえ。ちょっと休んでいく……」
「ええっ」
明子はそれが何を意味しているのかはっきりとは分からず、初めて飲んだワインの酔いが体中に回って夢心地だった。健介に抱きかかえられてエレベーターに乗ったことは微かに覚えていたが、部屋に入ると目蓋の奥の方にベットが飛び込んできたように感じ、初めて事態を認識したが緊張と疲れで後は睡魔との闘いだった。
「駄目、ダメよ……」
ベッドに横たえられても明子は力なく嫌々をした。
「大丈夫だよ。少し休むだけだから」
健介は子供をあやすように優しく毛布を掛けてくれた。一瞬うとうととしたが何処かでシャワーの音が聞こえたような気がした。起きなければともがいたが遠くで意識するだけだった。
「動かないのかしら」
「うーん寝てるのかなあ。あっ、動いたよ!」
「ほんと。後ろ足だけフワッと飛び跳ねてる!」
「何してるんだろう?スキップかな。珍しいことをするもんだね」
「ええっ、あっ!なーにあれ!」
観ると水の中で二,三度足をばたつかせていたと思ったら大きな円筒のようなものがお尻からスポーンと弾き飛ばされた。まるで大筒の大砲から打ち出されたような直径十センチ長さ三十センチ位の大きな糞がぽかりと水中に浮かんだ。するといっせいに魚たちが集まって来て糞に群がった。続いて二発、連発だ。
「へえっ、凄いね。初めて見たよ!感動したよ」
「ほんと、でも不思議ね。あの糞浮くのね、軽いのね」
「ええっ、そういえば人間のは……いやだね臭ってきそうだ。あっちへ行こう」
ライオンは王者らしくごろんと横になったままピクリともしないがトラはひょうきん者か右往左往して全く落ち着きがない。それとも威嚇しているつもりなんだろうか。明子はこのところ毎年のように下位に低迷している阪神タイガースを連想し熱狂的なファンだった亡き夫を思い出した。いくら若くてもやはり主婦は何処にいても家族から離れられないでいた。
像は器用に大きな鼻で土を掻き揚げ背中にぶっ掛けて土浴びをしていた。
「ダニやノミを撃退しているんだ」
と健介が説明した。
「そうなの、感心だわ。動物ってそれぞれ自分で身を護っているのね」
「そうだよ。あの白熊見てごらん。小首を傾けて愛嬌を振り撒いているけどオスはお腹が空いてると自分の子供でも食べるんだよ」
「ほんとなの?オスと云ってもお父さんでしょう。父熊が自分の子供を食べるの!」
「あゝ、だから母熊は父熊が怖いんだ。子熊を連れて必死に逃げるんだよ」
明子も白熊のように今日まで必死に幸一から逃げて来たのだろうか。幸一が目の前に現れるのが怖かったのは確かだった。不思議なことに他人である健介はちっとも怖くなく頼もしい限りであった。何故なんだろう。そこには愛が存在していた。愛があれば何にも怖いものはない。
「お昼にはちょっと早いなあ、美術館にでも入る。それとも動物園にしようか」
「いいの……仕事の方?突然にこんなことになって」
「いいんだよ仕事なんか。こんなことでもなければ二人だけのデートなんか出来ないしね。仏様がくれた俺たちの時間だよ。有意義に使わないとね」
「私絵は分からないし、動物園もテレビで観たことはあるけど行った事はないの。ライオンやトラがいるんでしょう。怖くない?」
「そりゃ怖いよ!噛み付くかもしれないよ」
「えゝ、ほんとなの。脅かさないでよ、檻があるんでしょ」
「そうだよ!檻はあるけどね、あんなもの簡単に壊して飛び出してくるんだ。ジャングルで物凄いスピードで獲物を追っかけているのテレビで観たことない?」
「観たことはあるけど、信じられないわ」
「嘘だよ。本当はね可愛いんだよ。明子さんみたいにね」
健介はつんと澄まして云った。
「まあ、意地悪!」
明子は健介を悪戯っぽく睨みながら健介の腕を捻った。
「あっ、痛たゝ」
健介は大げさに悲鳴を挙げた。
「あっ、ごめんなさい。そんなに痛かった?」
「うそだよ!」
「まあ!」
二人は手を取り合って笑い転げた。
動物園は平日にもかかわらず幼稚園児や引率した先生たちの何組ものグループでごった返していた。親子連れや、若いママ達が共に乳母車に赤ちゃんを乗せ、片方の手でキャーキャーと嬉しそうにはしゃいでいる幼児の手を引っ張りながらシマウマやキリンを眺めていた。
明子はそんな彼女たちや園児たちを見るにつけ胸が締め付けられる思いがした。子供たちを一度もこんなところへ連れて来たことがなかった。せめて動物園の隣の一心寺で眠っている真二だけでも連れてきてやりたかった。楽しいことが一度でもあったのだろうか。
「キリンさん、よく見てご覧。もぐもぐと口を動かしているだろう」
明子の胸のうちを知ってか知らずでか、子供好きの健介は子供たちにも聞こえるような大きな声で明子に云った。よく観てみると高い木の葉っぱを食べているようでもないのに休む間もないようにもぐもぐと口を動かしていた。
「何か食べてるの?」
「いや、あれはね反芻しているんだよ。牛と同じでね胃袋が四つあるんだ。一度飲み込んだ食物を何度も口の中へ戻し噛み直して奥の胃袋へ送るんだ」
健介は得意そうに説明した。隣の堀では河馬が大きな岩のように固まっていた。
9:30分 地震発生M8 鶴見区内震度6
直ちに町会ごとに「災害対策本部」が設置され、
町会一次避難場所に住民が集まり、収容避難所である
小学校の校庭に避難しました。
私は要援護者の安否を確認し、91歳のお婆さんの
車椅子を押して非難し、地震に対する心構えや防火訓練、
骨折時に雑誌で固定したり、レジ袋で腕を吊ったり毛布と物干し竿で
タンカーを作るのを学びました。
講堂では阪神淡路島の大震災の写真や映像があり、
実際の避難場所や簡易トイレなどが設置されていました。
医療室や炊き出しもあり緊急時の食べ物や飲料水簡易トイレなどが
売り出されていました。
夏から3ヶ月もかかって計画したものです。
少しでも災害に対しての心構えの向上に役立てばいいのですが。
いずれにしても災害が起きないことを祈るのみです。
「やっぱりここに居たんだ」
聞きなれた懐かしい声に明子は我に返り頭を上げた。健介だった。
「えっ! どうしてここに?」
明子は飛び上がらんばかりにびっくりした。
「葉子ちゃんが電話してきたんだ。お母さんが少し変だから一心寺へ行ってみてって。何があったの?」
明子の驚いた表情には思わず抱きしめたい可憐さがあったが仏の前という場所がら健介は躊躇した。
「別に何かあったってわけではないんですけど……」
健介とはもう逢わないと決心したばかりだったが目の前に現れると、そんな決心など頭から吹っ飛び健介の胸にしなだれかかって思いっきり泣きたい衝動に駆られたが、<精気を吸う女>と罵る幸治の声が耳の奥で蠢き明子を止めさせた。
人間は目の前の幸せが待っているのに何を躊躇ってわざわざ不幸の道を選択するのだろう。幸せを求めるにはそれなりの努力がいる。不幸を選ぶ方が楽なのかもしれない。自分さえ我慢すれば何もせずにそれで済む訳だから。他人を引き込む手数が省けて面倒なことはなく簡単に不幸は手に入れることができる。人間は弱く敢えて火中の栗は拾わない。それが煩わしさを嫌う常識的な生き方なんだろう。幸治が罵ったことをいくら愛し合ってる健介であっても母と子の人間性にかかわるだけに打ち明けることは出来なかった。明子は仏に手を合わせ己の心の中で葛藤し鬩ぎ合いを続ける危険な冒険心と常識的な生き方、どちらの道を選択すべきか教えを乞うていた。
「私、私ってそんなに罪深い女なの?」
「そんな訳ないだろう。誰がそんなこと云ったの……そんなに思いつめないで自然でいいんじゃないか。とにかく少し歩こうか」
健介には葉子の電話で明子が何を悩み何を躊躇っているのかおおよその見当はついていた。優しく明子の手をとって抱き寄せ、寄り添うように腰に手を回して天王寺動物園の横を市立美術館の方へ回って歩いた。人通りは疎らで所々に彫刻のオブジェがあり、綺麗に手入れされた花壇の前のベンチに二人は寄り添うように腰掛けた。健介は明子が気持ちを落ち着けるように何もしゃべらなかった。油を注ぐより明子をやさしく見守ることで二人の思いは何も語らなくても次第にほぐれていった。
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